カバー画像:©︎2022『ちょっと思い出しただけ』製作委員会 ©︎E-WAX
コロナ禍前の思い出を肯定出来るきっかけの映画に
── そうでしたか。それと、観客賞受賞は、もう当然というように思いました。通常は個性的な役柄が多い主演の池松壮亮さんが、今回は意外に思えるほど、優しげな普通の男性を演じていたこともそうなんですが、この映画を観た方々が「これ、自分のことだ」「これは、自分たちのことだ」という気持ちで一杯になるに違いないと思いましてね。忘れていたつもりの、誰もが経験したことがある、ほろ苦い気持ちで胸が一杯にもなるだろうし。
これは、監督の恋愛経験も生かされているのでしょうか?
うーん、それは、(今までの作品にも言えることですが)自分が知っている言葉しか描けないですから、そうなりますね。
── 苦い思い出でも、それも良い思い出にもなるわけで、たとえ、恋人だった相手と別れたとしても、恋の思い出は、いい思い出として心に残りますものね。
そうそう。そうです。いい思い出になっています。悲しい思い出としてではなく……。
── そういう思い出も、前向きにとらえれば、人生の宝物ですものね。
やはり、この作品の優れているところは、コロナ過が続き、誰にとってもコロナ禍になる前の出来事が、色濃く思い出されていく。亡くなった方のことなども含め、思い出すこと、それは、自分を見つめ直すことでもあり、今こそ大事な時期というか、そういうことを気づかせてくれる時期なんだということを教えてくれる映画なんですよね。そんなタイミングを逃さず作られたことにも、大きな意味を持つ作品であることに気づき胸を打たれるんです。
コロナ禍のこの2年は、思い出すことの方が多かったと思います。そうやって、思い出すこと自体を肯定できるような映画になったらいいなという思いで作りました。
── コロナ禍での撮影は大変ではありませんでしたか?
とにかく、この状況に、上手く正面から向き合わなくてはと思って取り組みました。「嘘をつきたくない」という気持ちがありますから、道行く人たちも皆さん、マスクをしている世の中を避けることなく撮りたかったので。時系列的にも、現状のコロナ禍のシーンから撮っていきました。感染対策もきちっとしながらです。
辛いことも多々ありましたが、(コロナ前には当たり前の)人と会えることの喜びが強く感じられたりする今の時期、この時を何らか(映画で)救いたいという気持ちがあって、やり遂げられたと思います。
── どのくらいの期間で撮られたんですか?
2週間強です。7月の、東京オリンピックの頃。
── わー、凄い。それで、TIFFに間に合わせられたんですね。
ギリギリ間に合いました。
こだわりの源は、ジム・ジャームッシュ監督
── 映画では、7月26日という一日が、6年間に遡って、毎年毎に描かれていくという構成と演出がユニークで、まさに思い出を深いものにすることに効果的でした。この日付には何かこだわりがあったんですか? 池松さんが演じる照生の誕生日という設定なので、もしかしたら監督のお誕生日では、と思いましたが、違いますね……。
はい。誕生日ではありません(笑)。僕の誕生日の11月2日は、TIFFでのプレミア上映でした。
── えー、そうだったんですね。いろいろと良いめぐりあわせが重なるものですね。監督は、強運の方というか、運を呼び込む方なんですね。
はい、結構、運と縁には恵まれています(笑)。で、思い出の日を7月26日にしたのは、うーん、撮影する時期が7月だったから7月にして、26日は、色々と考えて、えっと……。
── まあ、監督にしかわからない決め方ということで(笑)、了解いたしました。
すみません(汗)。
── 私も1987年からミニシアター系の洋画・配給をしてきた立場として、今回の監督の作品を拝見してものすごく嬉しくなりました。なぜなら、ジム・ジャームッシュ監督へのオマージュの作品であるということだからなんです。30年以上前のジャームッシュの作品とか、ジャームッシュ監督のことを今に輝かせようとする試みが、素晴らしいんです。映画は、いつでも遡って観ることが出来るとはいえ、当時の松居監督はまだ6歳くらいで……しょうか。
はい、そうですね。ジャームッシュ監督作品を観るようになったのは大学時代からです。
── 慶應義塾大学時代ですか?
はい、大学時代は、留年したり休学したりで長いです(笑)。就職が上手くいかなくて、その間、自主映画を作ったり演劇をやったりしていました。日本や海外の映画をたくさん観ていて、そこでジャームッシュ監督作品は、『ブロークン・フラワーズ』(2005)からですが、この作品が心に強く残って、次々とたくさん観ました。
── ちなみに、就職って、どんな会社を受けたんですか?
あ、テレビ局です。
── ああ、テレビ局ですか。
ええ、全局落ちましたね。
── そうでしたか。でも、失礼ながら、落ちてよかったんじゃないですか。そうでなかったら、こんな素晴らしい映画を作る映画監督は存在しなかったんですから(笑)
いえ、いえ、いえ。
『ナイト・オブ・ザ・プラネット』への想い
── それにしても、尾崎世界観さんが作られた曲、「ナイトオンザプラネット」から着想したという今回の作品ですが、こういった本格的恋愛ものに展開していくというイマジネーションが凄いですね。
尾崎さんはジャームッシュ監督の『ナイト・オブ・ザ・プラネット』を観た後にバンドやろうと思ったぐらい、この作品に影響を受けたわけです。映画で使われていた「ハイプ」という言葉をバンドの名前にして「クリープハイプ」が生まれた。だから、彼がこの曲を歌うことには特別な意味もある。その覚悟に応えるような物語を作ろうと考えていたんですけど、ずっと思いつかなくて。
思い出したのは、(ジャームッシュ監督が1989年に撮った、『ミステリー・トレイン』に出演した)俳優の永瀬正敏がおっしゃるには、『ナイト・オン・ザ・プラネット』は、ジャームッシュ監督は大好きな東京でも撮りたかったけれど、映画の時間軸で言うと東京が昼の時間帯になってしまうから、東京編は断念したという思いがあったとか。だから、彼が見たら東京編に思えたらいいねと……。
で、時間を遡るような作りにしようとか、一年くらいかけて考えていったんです。
── なるほど、なるほど。
やっぱり、ジャームッシュは、ミニシアター時代を牽引して盛り上げた存在ですからね。大きな存在です。
── そのジャームッシュさんが大変好意的に、本作で、ロサンゼルス編のワンシーンを挿入することに快く承諾して下さったとか。素晴らしいですね。日本でもブレイクした女優のウィノナ・ライダーが運転手役で、ジーナ・ローランズが客で。一挙に90年代が蘇るんですよね。『ちょっと思い出しただけ』の中で。嬉しくなっちゃいます。
はい。その使用許可なども配慮してくれまして、とても好意的でしたね。
── で、ウィノナ・ライダーのイメージが、伊藤沙莉さんなんですね?
いえ、そういうキャスティングではないんです。脚本を書いていて、はじめはドライバーは男性だったんです。前々からお仕事をしてみたいと思っていた伊藤さんが、今回出演してくれるなら、役を入れ替えた方が何か面白そうで。