アクション作品でありながら“小曾根百合”という女性の生き様を描く
──監督がアクション作品を手掛けられたことに驚きました。お引き受けになった経緯からお聞かせください。
昔から知っている紀伊宗之プロデューサーに、「巨額の制作費をかけても『リボルバー・リリー』の世界観を作りたい」と声を掛けていただきました。この題材でよく僕に声を掛けてくれたなと驚き、「なぜ、アクション作品を撮ったことのない僕なのか」と聞いたところ、「これまでアクション作品を撮ったことがない人間が撮ることに興味がある」とおっしゃったのです。これは言葉を変えると、“これまでにいくつも映画を撮ってきた僕に更なるポテンシャルを感じている”ということ。すごくありがたい話です。
しかも企画自体に気概というか、気骨がありました。東映は『仁義なき戦い』シリーズといったアウトローを描くことを得意としてきましたが、そういった路線は長らく途絶えていました。紀伊さんはそれを『孤狼の血』で復活させた人です。今度はダークヒロインを誕生させたいといい、それを僕にやらせていただけるという。こういった機会はなかなか訪れません。背筋が伸びるような思いを感じつつ、一も二もなくやりたいと思いました。今となっては感謝しかありません。
──原作は長浦 京さんの同名長編小説です。プロット作りはどのようになさいましたか。
まず、2人の重要な人物を1人に集約する設定変更をしました。それによって主人公の小曾根百合は信じていた愛情や無垢な想いを一旦は失うけれど、それらをもう一度取り戻す。紀伊さんのアイデアでしたが、感情の変化が原作よりも如実に生まれると思い、むしろ、そこを重視しました。
アクション作品と言いながら、ベースでは“小曾根百合”という女性の生き様を描く。彼女は冷徹な女と言われているけれど、生きるためにはそうせざるを得なかっただけ。そこに照準を合わせて、見たい場面を紡いでいきました。そこがちゃんと落とし込めていないと主人公として愛せなかったのです。群像劇の部分は気に入っていたものの、切り離して考えていきました。
──原作では国松から頼まれて、百合は細見慎太を預かりますが、映画では慎太が父親に「“小曾根百合”のところにいけ」と言われ、百合にとっては“なぜ自分なのか”というミステリー要素が加わりました。
中盤で、その謎に対する、ある真実がわかるのですが、それによって変化した百合の心情が1つの起爆剤となってクライマックスを迎えるというのが僕の理想でした。その真実によって、百合は女性としてずっと信じてきたものが裏切られる。しかし、裏切りであっても受け止めようと思う。その心情の複雑さは僕が好きな成瀬巳喜男監督の映画のよう。成瀬巳喜男監督の映画はいうならば、そこを描く女性映画なのです。
僕が自分らしく、ブレずにやれたのは、好きな映画の方向性をこの作品においても生み出せたからかもしれません。
──そのシーンで百合の人間としての度量の大きさを感じました。
百合がたばこを吸って気持ちを落ち着かせ、慎太を守ることは自分に与えられた任務だと受け止め、この先も戦っていこうと思う。僕自身、このシーンがすごく好きでしたが、百合がそう決意したと観客が思えるかどうかが重要でした。
今の時代、主人公の女性が極端に強く、周りの人がどんどん死んでいくような映画は受け入れられません。彼女も一人の人間であって、どこかで弱さを携えている。それでも研ぎ澄まされた感覚は誰にも負けないように描きました。
──死に囚われていた百合が生きることに前向きになっていった気がします。
百合は子どもを亡くした喪失感を抱え、ずっと前に進めなかったのですが、慎太と行動を共にするうちに、疑似的な母性が発動したというか、未来を繋ぐために生きる使命が見つかった。目的があると、我を忘れて、それだけを成し遂げる。昔から人間が持つ性に映ればと思って撮っていました。