プロデューサーの意気込みに背中を押された
──監督はオファーを受けたときに「どこまで『ゴールデンカムイ』の世界観を表現できるか不安だった」とコメントされていますが、それでもお引き受けになったのはどうしてでしょうか。
コミック原作をやるのが初めてだったということもあって不安を感じていました。しかし、プロデューサーの松橋さんが「冒頭の二〇三高地のシーンは日本兵の凄まじさと勇敢さを今までにない邦画として描きたい。そこから全てが始まる」と強くおっしゃっているのを聞き、ゴールデンカムイの世界観を本気で1つ1つ丁寧に作っていこうとしているのを感じ、その意気込みに背中を押されました。実写化のために自分が何をすべきかということは、それからのスタートだと思えました。
──その段階で脚本はできていましたか。
最初に打診されたとき脚本はまだできておらず、どこまでどう描くのかといったことをうかがい、第一稿までは黒岩勉さんとプロデューサーにお任せしました。その間、一年くらいあったので、個人的なリサーチとして北海道を回り、実写化へのアプローチを探す旅をしていました。
──具体的にはどのようなリサーチをされたのでしょうか。
原作者の野田先生のブログや取材物を読み直してみると、先生は実際に北海道に行って取材をされているので、まずはそれを追うことにしました。野田先生がのぼりべつクマ牧場に行かれたと書かれていれば、僕ものぼりべつクマ牧場に行ってクマを感じ、屯田兵や旧陸軍第七師団についての資料を展示している北鎮記念館や博物館網走監獄に行ったとあれば、そこにも行きました。
そうやって丁寧に自分の目で見ていくと、原作に出てくる建物がたくさんありました。北海道の方々が明治時代の建物を本当に丁寧に残してくれていたのです。幸いにも街並みはできている。そこを中心にする物語であれば、明治時代という文化は描けると思いました。
アイヌに関しては、実際に作らないといけないと思っていたので、アイヌ文化復興・創造の拠点であるウポポイ(民族共生象徴空間)に行って、アイヌ文化に触れました。このように1つ1つスタッフと一緒にリサーチしていきました。
──雪山のシーンが多かったので、ご苦労されたのではないかと思います。
2022年の冬から撮影しましたが、長野で撮っていたら暖冬で雪が溶け、雪山が緑の山になってしまい、別の場所を探しました。ところがそこも溶けてしまって、新潟から何十トンという雪を持ってきて、スタッフのみんなで撒いたことがありました。
一方で、気温が-10度まで下がり、雪がものすごく降ってしまって撮影ができなくなったり、画が繋がらなかったり。撮影時間も日が暮れるまでとなると限られてしまう。そういった苦労が多々ありました。
いちばん大変だったのは、役者が芝居をする場所を雪山で作り出すことでした。スキーをしていて少しコースを外れるとずぼずぼになってしまいますが、雪山の撮影では圧雪して芝居ができるようにしているのです。そういうことを全く気にしないで、雪山のシーンが出てくる映画作品を見ていたことを改めて知りました。
しかも車を停めてから歩いて2時間という場所での撮影は無理。10〜15分で行ける山を北海道、新潟、長野と細かく探しました。さらに圧雪して芝居場を作るだけでなく、スタッフが暖を取れる場所も確保しなくてはならない。そういう準備を完璧にしないと厳冬期の撮影は危険を伴うのです。それくらい徹底した準備をして撮影に臨みました。