「今回は石橋さんと彼女の音楽に導かれているな、と思いますよ」
――『ドライブ・マイ・カー』が、撮影から映画賞の締めくくりになったアジア・フィルム・アワードの授賞式まで何年もかかって、あまりにも長い旅だったじゃないですか。だからこそ濱口さんが次に何を作るか、あらゆるところから注目を浴びてるっていうご実感があったんじゃないかと思うんですが。
濱口 よく、「次は何を」と聞かれ、それが嫌だなと思う気持ちはあったと思います。それはこの作品に素直に、ある程度反映されてるような気がします。
――昨年、『CLOSE/クロース』のルーカス・ドンに話を聞いたときに、オスカーの会場でハリウッドの大手スタジオとか、マーベルとかDCから声かかったんだろうって聞いたんですよ。そしたら「実はかかってるし、やってみたいんだけど、でも自分がやりたい方法じゃないんだよねえ」と言ってるのを聞いて、ちょっとほっとしたんです。多分同じように濱口さんにもとんでもない量の脚本が届いてるんじゃないか、って想像していたんですが。なんせ西島さんにはA24のドラマ出演オファーがいったわけですから。
濱口 ないとは言えませんが、大量に届くとかは全然ないですよ(笑)。
――ちゃんとした純正日本映画。しかもB路線でいくと(笑)。
濱口 B! これから公開するのになんてことを!(笑)
――失礼しました(笑)。でも、商業映画だったとしても、やりたい方向性を崩さないのは素晴らしいことですよ。
濱口 そうですね。落ち着く方向性みたいなことを模索するっていうのかな。自分自身が何をやりたいかみたいなことを考えられる製作っていうことですかね。撮影が始まっちゃうと、あまり変更が効かないから、ある程度少人数の与えてくれる自由度が必要だった気がします。自分のやってることに対する理解のある人には、すごく甘えながらとっているっていうところはあると思いますから。
――それ、やりたい人は多いけれども、できない人の方が大半ですよ。
濱口 え、なぜですか?
――甘えを嫌う国民性。やりたいことを人と共有する前に、自分で持ち出しをして実現しようとしてしまう。
濱口 なるほど。その点でいえば、僕は恵まれていますし、今回は石橋さんと彼女の音楽に導かれているな、と思いますよ。
「人と仕事をする以上、やっぱり最後は人柄」
――これまでの監督の作品って大体そうなのかなと思うんですけど、何か途中から見えざる力で引っ張られてるように感じられるんですよね。
濱口 お、そんなこと聞いちゃいます?(笑)
――オカルトっぽい? 聞いちゃダメですか?(笑)
濱口 まあ、自慢ではないですが天気には恵まれがちです。本作だと、ラストシーンの撮影時、霧が出た時は「おお…」って思いましたよね。あれは、3日ぐらい狙っていたんです。霧は朝しか出ないんで、早朝から狙ってたんですけど、予報では切りの出る可能性はすごく低かった。霧がなきゃないでも撮るしかないかなと思ったんですけど、霧が出た時は……ちょっと怖いな、とすら思いましたね。
――花さんのアップのスチルに象徴される「青」ですが、そこにも見えざる力を感じたんですよね。だって晴天に恵まれていないとダメでしょ?
濱口 言われてみれば! そうですね。光が大事だっていう話は撮影の北川さんともしていて、今回は光が良くなきゃ撮りませんよ、みたいなことを言われていたんですよ。でも、あまり光が悪いということもなく、撮影も止まることがなかった。霧だけ待ちましたが、最終日には出ましたし。
――神がかってる……。
濱口 これは、わかんないですけど、一つ重要なのは、運がいい人と仕事を組むことですよね。撮影の北川さんは優秀な人でもあるんですけど……なんて言うかラッキーガイなんですよ。たとえば、「こういう画がほしい」って思って、探したり待ってたりはするんですが最終的には、ふとほしいものが来て「撮れちゃいました」みたいな。
――そういう人と組むって大事。しかもそれって、ラッキーを持つ人の運だけじゃなく、濱口さん自身の才能でもある。
濱口 ありがとうございます(笑)。でも、人と仕事をする以上、やっぱり最後は人柄だとは思います。『ハッピーアワー』の頃から北川さんも録音の松野さんも組んでますが、この人たちの何がいいかっていうと、場を支配しない人柄。映画制作の現場って、スタッフの準備した場に俳優が入ってくるから、スタッフのものになりがちで、俳優はお客さん。でも、北川さんや松野さんは、俳優たちをリラックスさせるし、肯定的に励ます雰囲気を出すようなところがあるんです。結局、そういうのがあるから運が良くなるんだと思いますよ。
「いい部分、悪い部分、いずれも『こういうものかな』と思いながら作っている」
――人の良さって大事ですよね。
濱口 めちゃめちゃ大事だと思います。
――この映画のテーマとは対極ですが。
濱口 そうですね(笑)。この映画の取り扱ってるものはまがまがしいんですけど、めちゃめちゃ幸福な現場でしたね。
――じゃなかったら、人の悪い映画になってしまう可能性も。
濱口 うん、確かにそうですね。
――だって、これ見終わった後、たしかにまがまがしいものを見せられたのに、なぜか悪い気にはならないんですから。
濱口 それはありがたい。じつはさっきの取材では「どんな悪意でこれを撮ってるんですか」と言われんですけど、そんな悪意では撮ってないんですよね。この物語のシチュエーションや感情など、それぞれ単純に「こういうものだろう」と思って撮っています。だから、いい部分、悪い部分、いずれも「こういうものかな」と思いながら作っているということは言っておきたいですね。
――どんないい人にでも「悪」はいますから。
濱口 人が何かを良かれと思って、選んですることの裏面として、必ず選ばれなかった事柄があって、それがたまってくると、誰のものでもない「悪」のようなものが生じてくると思うんですが、その中にこの映画のラストのようなこともあるんじゃないかなと思います。
――グランピングサイトをやろうっていう人たちだって悪意があるわけじゃない。でも、補助金や助成金の制約があるだけ。これ、映画界でも問題になってますものね。
濱口 たとえば文化庁の担当の役所の人と会う機会があると、1人1人は現場で、ものすごく一生懸命やられているという印象なんですよ。ただ、年度で締める国の決め事によって、縛られてもいて、申請する側の不都合はあまり考慮されていないのも事実だと思います。結局申請する側は、通るためにある基準の数値を満たせばいいって話になって、そこから「効率」って話になる思うんですよ。
ただ、効率の追求は生身の人間の限界を超えてしまうこともある。その余波として、例えば映画業界でも、何が撮りたいかわからないけど助成金をとったがために、ひとまず期限内に撮らなくては、が優先になってしまい苦しむ人も出てくるんだと思うんです。
――映画のように時間をかけて作るものに対して、ありえない期限をつけるとか本当におかしな話ですし、劇中の芸能事務所にも言ってやりたいですね、助成金で給料を払ってるとかおかしいと思わないのか、と。
濱口 まあそうだと思います。映画だと本来は、開発で1年、制作で1年、興行1年みたいな時間がかかるものですし、助成金のくだりは自分たちが働いてる業界のことをすごく考えますよね。そういう点でも、ひと事ではない話にしていこうとはしていたと思います。