自然豊かな町にグランピング場開発計画が持ち上がる。それはコロナ渦のあおりを受けた芸能事務所が政府の補助金狙いで計画したものだった。森の環境や町の水源を汚染しかねないずさんな計画に住民たちは動揺し、関わる人々に余波が及び出す・・・。

濱口竜介監督最新作『悪は存在しない』は、『ドライブ・マイ・カー』で濱口と組んだ石橋英子からライブパフォーマンス用の映像の制作の依頼を受けたことが起点となった。試行錯誤と対話の末、従来の手法でひとつの映画を完成させ、そこからライブパフォーマンス用映像を生み出すことを濱口は決断。石橋のライブ用サイレント映像『GIFT』と長編映画である本作が誕生することになった。

新たな試みから生まれた本作は、第80回ヴェネチア国際映画祭では銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞、濱口に世界3大映画祭制覇の快挙をもたらし、その勢いは各国での上映や映画祭へと広がっている。今回、SCREEN ONLINEでは濱口監督に単独インタビューを実施。新たな試みとなった転機を語ってくれた前編に続き、後編では濱口監督が明かした制作中の心境などをたっぷりと紹介する。(取材・文/よしひろまさみち、写真/久保田司、リード文・編集/SCREEN編集部)

前編はこちら

ある種の精神的余裕もあったが
「精神的プレッシャーもあるような状況みたいな中で生まれてきた作品」

――1からというよりも0から、しかも、着地点が見えないものを作り、それが世界で高い評価されてますが、それについてはどう考えられてますか?

濱口竜介(以下、濱口) 映画祭などの高評価は、驚きの一言ですね。当初は、ライブパフォーマンス用の映像ということ以外に出口はなかったですから。ヴェネチアへの出品が決まったことで、公開は決まりやすくなったっていうぐらいの感じで、そもそも映画として公開する予定もなく始まったので、映画祭で映画として評価を受けるものになるとは思ってもいなかった。驚きましたけど、その一方で結果として良かったのかなと思えるのは、何か出口を決めて作るのではないやり方ですね。これは最近はほとんどやっていないアプローチでしたから。

画像: ある種の精神的余裕もあったが 「精神的プレッシャーもあるような状況みたいな中で生まれてきた作品」

――こういうタイプの作品は、90年代ぐらいまでにはよくあったじゃないですか。でも、実験映画としてくくられて、興行もセールスもほぼできないという。それがこれくらい大きな興行に結びついたのは、今ならではですよね。情報の拡散が段違いに早くて広い。

濱口 言われてみれば、確かにそうかもしれないですね。その話に引っかけて言うならば、90年代くらいにあった日本映画の記憶は結構働いていたと思います。特に、当時のVシネマや北野映画など、暴力的なものを含んだ、必ずしも分かりやすいとは言えないような映画を。そういうものの記憶は今も自分にとって非常に大事なものなんですが、今はそういうものがないなと思いながら作ってた。不条理が平然と存在しているような、そういうものを作りたかったですし、そのタイプの作品をル・シネマさんでやっていただけるというのは、時代の変化なのかもしれないですね。

――かつてはシネヴィヴァン六本木などでしか上映しなかったタイプの作品ですね。

濱口 もしくは、レイトショーオンリー(笑)。

――見てる側が「やばいもん観てる!」って意識しちゃうような作品ですね。『悪は~』はまさにそのタイプですよ。

濱口 ああ、それはありがたいです。でも、確かに日本に限らず90年代的なインディペンデント映画っぽさってのはあるのかもしれないですね。ショーン・ペンとか。

――たとえば車で去っていくところとかのカメラワークなんて、「あー、こういう感じ、昔見たし、今の機材でやりたいよね」って思っちゃうんですよね。最近の映画は、画が決まってるし、はっきりくっきりした映像が好まれるじゃないですか。

濱口 デジタルでやると、それが一つの解になってしまうっていうのはあると思います。

――ブレみたいなものを嫌うんじゃなくて、そもそも撮れないですよね。そこに関しても、ここでしかできないことやられてる。

濱口 そうですね。気心の知れた仲間とつくるある種の精神的余裕があり、一方で石橋山の音楽に見合うものを、という精神的プレッシャーもあるような状況みたいな中で生まれてきた作品、という感じはしますね。そして、このタイミングで、これを作ることができてよかったと思ってます。

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